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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)2039号 判決 1964年4月27日

控訴人 国

訴訟代理人 川本権祐 外五名

被控訴人 服部信吉 外一二〇名

主文

原判決のうち控訴人敗訴部分を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人らに対し別紙目録<省略>の減収責任金額欄及び井戸掘負担金欄各記載の金員及び減収責任金額欄記載の金員につき昭和三十四年三月十八日から、井戸掘負担金欄記載の金員につき昭和三十七年五月二十六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じて二分し、その一を控訴人他の一を被控訴人らの各負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示(五枚目表十一行中の井坂庄吉を井坂正吉と訂正する)のとおりであるからこれを引用する。

控訴代理人は、「山王川は排水路としても使用されており、本件工場廃水をこれに排出することは違法ではない。」と述べた。

証拠<省略>

理由

一、控訴人が石岡市に本件工場を昭和十二年に設置し、甘藷糖密等を原料としてエチールアルコールを製造し、アルコール蒸溜廃液を山王川に排出していること、山王川が石岡市大字石岡字鹿の子九九五〇番溜池六町三反三畝三歩及び同番原野六畝歩の通称柏原池を水源地とし、南東に流れて霞ケ浦に流入する全長約六キロメートルの普通河川であることは、当事者間に争いがなく、成立に争いない乙第三号証、原審における証人椿菅太郎の証言及び検証の結果によれば、山王川は水深が五十ないし九十センチメーターで川巾が一メートルないし二メートルであることが認められる。

原審及び当審における検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、山王川が水源地を発して石岡市の住宅街に入るまでは両側に狭い水田地帯が続き、住宅街を過ぎるとまた水田地帯がひらけ、霞ケ浦に至ること、山王川には上流から新栄生糸株式会社石岡工場、石岡製油所、醸造業浜栄太郎工場、筑波乳業株式会社石岡工場の各廃水、石岡市泉町下水、本件工場廃水、石岡市大小路町下水、同金丸町下水、同守横町富田町下水が順次流入していること、石岡製油所が操業を開始したのが昭和三十四年十月頃であること、本件各水田が右守横町富田町下水の合流点より下流沿岸に存することが認められる。

成立に争いない甲第二号証、原審証人海老坪蔵之助の証言、原審における被控訴人駒田助左衛門、服部信吉、当審における被控訴人惣野代恒雄、小松崎清太郎各本人尋問の結果によれば、山王川は徳川時代から柏原池を水源地として現在のとおり流れ、沿岸の水田の潅漑用水として使用されてきたこと、石岡市街の発展にともない前記のとおり工場廃水及び都市下水が流入するに至つたこと、被控訴人らが昭和三十三年以前から本件水田を耕作し山王川の水を潅漑用水として使用していることが認められる。

二、本件工場廃水が山王川に及ぼす影響について判断する。

原審証人鈴木竜彦(第一回)の証言により成立の認められる甲第三号証、成立に争いない甲第二十七号証、乙第三号証、原審証人加藤三郎、山本浩吉、辻村克良、鈴木竜彦(第一、二回)、森田潔、当審証人山本浩吉、鈴木竜彦の各証言、原審における鑑定人辻村克良、室島鋒一郎の各鑑定の結果によれば、本件アルコール工場においては、アルコール蒸溜廃液を浄化するため、メタン醗酵装置を昭和三十一年、活性汚泥法による曝気槽を昭和三十四年それぞれ設置し、廃液中の有機物及び窒素の含有量を減少させていること、辻村鑑定人が昭和三十四年十二月二日検査したところ、本件工場廃水が合流する以前の山王川の水は白濁して下水臭があり浮遊物もあつて一見して下水状を呈し、B、O、D(生物学的酸素消費量)四十二P、P、m全窒素五・三mg/リットル(七千五百石の水の中には一貫九百匁)を含んでいたこと、同日のメタン醗酵消化液(メタン醗酵装置により浄化された廃液)がB、O、D二千九百七P、P、m(右川水の約七十倍)、全窒素八百十八mg/リットル(同約百五十倍)であつたこと、同消化液が曝気槽による活性汚泥法の処理をされ、更に本件工場の雑用水によつて約十倍に稀釈された山王川に排出される直前の本件工場廃水がB、O、D百八十一P、P、m(右川水の約四倍)全窒素八mg/リットル(同約二倍)を含んでいたこと、昭和三十四年頃本件工場側と耕作者側とで工場廃水の排出方法について協議し、毎週月火曜日に上澄液、水木曜日に雑用水、金、土、日曜日に廃液を流し、金、土、日曜には川水を潅漑用水として使用しないとの協定が成立したこと、鈴木竜彦が昭和三十六年五月十日本件水田の川水取入口附近である兵崎下の石橋で川水を採取し分分析したところ全窒素二十四・五七mg/リットルを含んでいたこと、同人が同年五月二十九日から同年六月四日まで工場廃水の合流点より上流で二回、右兵崎下の石橋で一週間川水を採取し室島鑑定人が分析したところ、次のとおりであつたこと、

表<省略>

工場廃水は山王川で約五倍に稀釈されること、水稲耕作に一番影響があるのはB、O、Dと全窒素とであるが、B、O、Dは特別に数値が高い場合に限られるので、本件においては全窒素量のみを考慮すればよいこと、水稲耕作には一作につき一反当り七千五百石の潅漑用水を使用すること、一反当りの窒素施肥料は一貫九百匁が通常であつて最大許容量は二貫四百二十匁であること、窒素施肥量が過多になると稲は軟弱、徒長、未結実、病弱等の幣害が生ずること、本件工場廃水が合流する以前の川水も前記のように通常の施肥量にやや近い窒素を含有しているが、本件工場廃水が流入するため分解されやすい有機物と窒素がいちじるしく増加し、このため、本件工場廃水の流入により山王川の水が窒素過多となり水稲耕作に有害であつて潅漑用水として使用するのに不適当となつていることが認められる。右事実によれば、活性汚泥法による曝気槽設備のなかつた昭和三十三年までは、メタン醗酵消化液が工場雑用水で約十倍に、山王川の水によつて更に約五倍に稀釈されるが、川水で稀釈される直前の工場廃水は川水の約七倍のB、O、D、約十五倍の全窒素を含有していたと推測され、山王川の水は本件工場廃水のために水稲耕作の最大許容量をはるかに超過する窒素濃度を帯びていたと認めることができる。原審証人辻村克良の証言により成立の認められる乙第四号証によれば、本件工場廃水が水稲裁培に無害であるとの実験の結果がでているが、同証人の供述によれば、右実験結果から直ちに現地の耕作について推論を下すことは適切でないと認められるので、同号証をもつて前記認定を動かすに足りない。また、右認定に反する当審証人園田頼和の供述は採用しない。

三、昭和三十三年度における水稲減収の原因について判断する。

原審証人海老坪蔵之助、石橋保、鈴木竜彦(第一回)、森田潔、飯塚安司、井坂正吉、当審証人鈴木竜彦の各証言、原審における被控訴人服部信吉、駒田助左衛門、当審における被控訴人惣野代恒雄、小松崎清太郎各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、昭和三十三年度の水稲は日照高温にめぐまれ茨城県下においては後記の台風にもかかわらず平年作を上廻る収穫があつたこと、被控訴人らが同年度の水稲耕作に潅漑用水として使用した山王川の水に多量の窒素が含まれていたため窒素過剰となつて本件水田では稲が徒長し、ここに台風第二十二号が来て倒伏し、冠水して結実せず大幅な減収をきたしたこと、昭和三十三年中に茨城県に影響のあつた台風は、七月二十三日第十一号(十分間の平均風速十九・三秒メーター)、八月二十六日第十七号(同十四・二秒メーター)、九月十八日第二十一号(同十五・二秒メーター)、九月二十五日(同二十五・五秒メーター)であつて、十分間の平均風速が二十ないし二十五秒メーターのとき稲作の被害は十パーセントの減収にすぎないこと、従つて、右各台風が本件減収の原因ではないことが認められる。成立に争いない甲第五、第六号証原審における証人海老坪蔵之助の証言及び被控訴人服部信吉本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三十三年五月から九月頃まで平年に比して降雨量が非常に少く日照が多く旱害が生じたこと、しかし、山王川の水が涸れて本件工場廃水がなければ被控訴人らが山王川から潅漑用水を得ることができなかつた状態ではなく、自然の湧水も流入し、水がとだえたことがないこと、同年の旱害対策として多くの井戸が掘られたが、山王川の流域においてはその数が極めて少ないこと(昭和三十九年四月十九日付控訴人提出の証拠申出書添付の地図参照)が認められるから、本件工場廃水がなければ山王川から潅漑用水をとることができなかつたということはない。また、成立に争いない乙第五、第六号証、原審証人加藤三郎、山本浩吉の各証言によれば、昭和三十三年に至るまで水田耕作者から工場廃水について苦情を申し込まれたことがなく、また、税務署が課税基準として採用している基準年収量は本件水田の収穫量につき近隣の土地と差異を設けていないことが認められるが、同事実のみではいまだ同年まで水稲耕作に被害が生じなかつたと認めるに足りない。かえつて、成立に争いない甲第十五号証、原審証人海老坪蔵之助、石橋保、当審証人笹目孝志、高野毅の各証言、原審における被控訴人服部信吉、駒田助左衛門、当審における惣野代恒雄、小松崎清太郎の各本人尋問の結果によれば、昭和三十三年以前において魚族に被害があり、また本件水田にも減収があつたこと、減収量が比較的に少なかつたので、あえて苦情を申し込むに至らなかつたことが認められる。

したがつて、昭和三十三年における稲作は旱魃や台風があつたけれども、本件工場廃水の流入がなければ、本件のような被害が生じなかつたのであり、その直接の原因は同廃水によると認められる。

四、本件工場廃水を山王川に排出することが許されるかどうかについて判断する。山王川は徳川時代から沿岸の水田耕作の潅漑用水として使用されてきたのであつて、被控訴人らの同河川の使用は古くからの慣行に従つており、上流の使用者たる控訴人は被控訴人らの右使用に著るしく支障を生ずるような方法範囲でこれを使用することは許されないと認めるのが相当である。そして、本件工場廃水は多量の窒素を含みこれが水量の少ない山王川に排出されるため川水が水稲耕作の窒素許容量をはるかに超える窒素濃度を有することとなり、ために同川水を水稲耕作の潅漑用水として利用するのに有害不適当となつたのであるから、控訴人は被控訴人らの山王川の利用を著しく害しているのであつて、このような使用方法は許されない。山王川が古くから排水路としても使用されているからといつてて、一般人の忍容限界を超えて他人の水の利用を著るしく害することまでも許されることにはならない。

五、本件工場の設置又は管理に欠陥があり、又は控訴人側に過失があるかどうかについて考える。控訴人が、本件工場廃水を更に稀釈するか、被控訴人らのために別個の水源、すなわち、井戸等を提供すれば水田耕作の被害を防ぎ得ることは、原審における辻村鑑定人の鑑定結果により認められるのであるから、控訴人はかかる被害防止の措置を講ずる責任があり、その措置を講じないで山王川の水を汚染することは、本件工場の設置又は管理に欠陥があるとみられてもやむを得ないところである。のみならず、本件工場廃水の流入により山王川の水が過窒素濃度となり潅漑用水として不適当となることは水質分析をすればたやすく知り得ることでありながら、かかる汚染防止の手段をとらず漫然工場廃水を排出していたのであるから、少くとも過失があるといわなければならない。

成立に争いない甲第一号証、原審証人小野英男当審証人園田頼和の各証言によれば、本件工場においては当初アルコール蒸溜廃液の浄化方法として濾過床を設置して固形物を濾過し次に沈澱池で固形物を沈澱させる方法を用いていたこと、通産省工業技術院醗酵研究所においてメタン醗酵法について昭和三十年頃、活性汚泥法について昭和三十三年頃それぞれ工業化に成功したので、前者につき昭和三十一年四月、後者につき昭和三十四年三月それぞれ全国アルコール製造工場にさきがけて本件工場にその設備をつくつたこと、右設備によりB、O、Dは八十五ないし九十パーセント低下させ、窒素は五十ないし六十パーセント減少させていること、右設備にまさる浄化方法は現在のところ見当らないことが認められる。しかし、前に述べたとおりであるから、それだけの理由で本件工場の設置又は管理に欠陥がなく、また過失がないということにはならない。

六、水稲の減収量について判断する。

昭和三十三年度産米の政府買入価格が一石当り金九千七百五十円であることは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第三十ないし第三十三号証、原審証人田口徳太郎の証言によれば、被控訴人らの昭和三十三年度における本件水稲耕作は平年作の基準収量に比して減収したこと、その減収量については石岡市農業共済組合、農業共済組合連合会及び農林省の三者がそれぞれ査定したが、同連合会の査定が最も信頼できること、同連合会の査定した減収量減収金額及び被控訴人らが支給を受けた共済金が別紙目録各該当欄(原判決添付第二目録該当欄と同じ)のとおりであることが認められる。

七、井戸掘の損失について判断する。

原審における被控訴人服部信吉本人尋問の結果により成立の認められる甲第四十二号証、弁論の全趣旨により成立の認められる同第三十八ないし第四十一号証、原審証人椿菅太郎の証言、右服部本人尋問の結果によれば、前記のとおり工場側と耕作者側とで本件工場廃水の排出について協定が成立したが、前記のとおりなお山王川の窒素濃度が充分減少せず、潅漑用水として十分に利用することができないので、被控訴人らが昭和三十四年七月から昭和三十六年五月までの間に石岡市の補助金を受けて四本の深井戸を掘つたこと、この費用の各自の分担額が別紙目録井戸掘負担金欄(原判決添付第二目録の該当欄に同じ)のとおりであることが認められる。右事実によれば、右井戸掘の作業は川水の浄化に相当し原状回復に当るから本件工場廃水の排出に起因するものである。

八、水稲の減収について被控訴人らに過失があるかどうかについて判断する。原審証人海老坪蔵之助、石橋保、田口徳太郎の各証言、原審における被控訴人駒田助左衛門、服部信吉、当審における被控訴人惣野代恒雄、小松崎清太郎の各本人尋問の結果によれば、前記のとおり本件工場が昭和十二年設置されてからアルコール蒸溜廃液が工場廃水として山王川に排出され、本件水田において長年にわたり毎年若干の被害が生じていたこと、その原因が本件工場廃水にあることを被控訴人らが推測していたことが認められるから、水質の検査をすれば山王川の水が窒素過多で潅漑用水として不適当であるということを知ることができたのであり、その被害を防ぐために控訴人に工場廃水を更に稀釈するか、被控訴人らのための井戸を掘るよう請求し、応じなければ自ら井戸を掘つてその費用の返還を求めるなどその対策を講じ本件水稲の減収を免れ得たであろうことは、被控訴人らが前記のとおり井戸を掘つた事実及び原審における辻村鑑定人の鑑定結果に弁論の全趣旨を総合して認められる。ことに、茨城県農事試験場が被控訴人らの水稲耕作につき指導をなし相談を受け農業技術の研究改良につとめていることは、原審証人鈴木竜彦(第一回)、森田潔、飯塚安司の各証言により認められるから、被控訴人らは水質検査、被害防止対策の樹立について大きな便宜を有していたわけである。ところが、被控訴人らはかかる配慮を怠り被害発生の防止につきなんら方策をたてず、山王川の水を汚染されていない川水と同様に使用していたのであつて、殊に昭和三十三年度は旱魃で山王川の水量が少なく、工場の排水によつて川水に濃度の窒素分が含まれていることは容易に知り得たにもかかわらず、漫然これを使用したことは、被控訴人らにおいてもまた水稲の被害について過失があつたというに妨げない。従つて、被控訴人らの過失を参酌し、水稲の損害については、減収金額の半額である別紙目録減収責任金額欄記載の金額を控訴人に賠償させるのが相当である。

九、以上のとおりであるから、本件工場は国有財産法第三条第二項第四号同法施行令第二条により行政財産に分類され、国家賠償法第二条第一項にいう公の営造物に該当し、控訴人は本件工場の設置又は保管の瑕疵により、ないしは、少くとも過失により、違法に被控訴人らの山王川の使用を害し、よつて、水稲の減収及び井戸掘の損害を生じさせたのであるから、その損害を賠償する責任がある。そして、水稲の損害については、前記被控訴人らの過失を参酌し減収金額の半額にあたる金員及びこれに対する損害発生の後である昭和三十四年三月十八日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金を支払う義務がある。井戸掘の費用については同目録井戸掘負担金の金員及びこれに対する同法所定の年五分の遅延損害金を支払う義務があるが、被控訴人らが同負担金を確定して支払つた日時につき主張するところがなく、その請求につき昭和三十七年五月二十五日請求趣旨訂正申立書を提出しているところかみれば、遅くも同日までに負担金額が確定して支払を完了したと認められるから、翌二十六日から完済まで右年五分の損害金を支払う義務がある。従つて、被控訴人らの本訴請求は右の範囲において理由があり、その余は失当である。

よつて、原判決中控訴人敗訴部分を変更し、民事訴訟法第九十六条第九十二条第九十三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 千種達夫 渡辺一雄 太田夏生)

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